2013年1月2日水曜日

松坂競輪(狂人のひとりごと)

松阪競輪、廃止へ 再建への補正予算案否決(伊勢新聞)

市長コメント(話し合いの場を設けることすら拒否しただけでなく理由の
説明もないとはあまりに無責任、情けない…みたいな内容)が印象的だ。

プラス競輪場サイドとしては「今まで競輪(がもたらす利益)でいい思い
しておいて少し売上が悪くなると即手のひらを返したように廃止かよ」
みたいな思いもあるのではないかと思う。

だけどふと思う。

これって競輪(場)に対する「迂闊に近づくと何をされるか分からない」
みたいな恐怖のなせる技ではないかと。

単にそれが一方的に作り上げられた不当に歪曲したイメージであったと
しても、いちど心の奥底に刻み込まれた恐怖は消すことはできない。

その一方で「火中の栗を拾いたくない(面倒ごとに関わるのは御免)」
みたいな思いも当たり前だが、存在する。
(実際はその気持ちをごまかすために恐怖を利用しているともいう)

だからもう競輪(場)のことなど考えたくもない、けれど競輪(場)が
存在する限り考えなければいけない・・・だったら存在を消せばいい、
理由などない。消したいから消す。ただそれだけ。

ものすごく不当かつ一方的な理由だが、そういうことなのではないかと
どうしても思ってしまう。

もちろんそれだけでなく、いわゆるひとつの政治の世界ならではの?
利権がらみの何か(に対する負い目、後ろめたさ)も存在するのでは
ないかと思うけど・・・

そこまで嫌われ、避けられ、恐れられてしまったら、どうしようもない。

嫌われ、避けられ、恐れられた側としてはその一言で片付けたくないし、
なんとか修復の場を設けたい、話し合いの機会を得たいと思うだろう。
(相手に対する何らかの見返りというか利権というかを求めるなら尚更)

だけど嫌う、避ける、恐れる側にとって、たとえそれが不当かつ一方的な
ものであったとしても、本当に、存在そのものが恐ろしくてたまらない。

無責任と言われても卑怯者と罵られても、どうすればいいか分からないし
どうにかしなければと頭では分かっていても、無事でいられる自信がない、
だから近づきたくない、関わりたくない、考えたくもない、自分の中から
完全に消してしまいたい。

そんな心の積み重ねが、市長に「無責任」「情けない」と言わしめるほど
問答無用で廃止に追い込まれた背景にあるのではないかと・・・。

あくまで個人の歪んだ想像(妄想)に基づく勝手な感想です。

というかぶっちゃけこれって現在の自分が抱えてる問題というか現実と
いうかを勝手に投影させてるだけだけど・・・

それでもあまりに一方的、あまりに無責任、あまりに卑怯、あまりに人でなし、
わかっていても、どうしようもない。(正直どうにかしたいとも思えない)

こういう状態で一発逆転の方法なんてあるのだろうか?
良くも悪くも、あきらめるしかないような気がして仕方ないのだが・・・
(単に自分がさっさとあきらめたい、あきらめてほしいだけなのだが)

一方でふと一発逆転で存続が決まった?向日町のことを思い出した。
実際にはまだまだいつ廃止になるか分からない・・・というか、もしかすると
正式に廃止にするため猶予期間を設けただけかもしれないけれど、それでも
本来なら今年の向日町はなかったかもしれない「のに」現在も存在している。

理由は・・・向日町、競輪を、愛する人たちの声に動かされた、というか、
動かざるを得なくなった、というか・・・本当のところは本当に分からない。

それでも本気で逆転したいと思うなら、声に出し、行動するしかないのだろう。
問題は本気で逆転したいと思っているか否かだけど・・・
(というか正直まったく思っていない・・・思うのも怖い自分がいるorz)

以上、朝から(正確には特にここ数日)病みっぱなしの狂人のひとりごとです。

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