2020年11月30日月曜日

人権週間(フライング)

うすぼんやりと今週あたりからと思っていたら12月4日(金)から12月10日(木)までだった。しかも1948年国際連合で「世界人権宣言」が採択された12月10日を「人権デー」と定め、翌1949年より、法務省では、12月4日から12月10日(人権デーを最終日とする一週間)を「人権週間」と定めたとか・・・(おい受験生orz)

というわけで思いっきり出鼻をくじかれた(今日から人権週間のつもりで溜まったモノを吐き出す予定だった)が、溜めっぱなしもしんどいので出す。思いっきり被害妄想と人間嫌いこじらせた人間の悪意に満ちた文章になると思うけど平にご容赦。

「人権」という言葉を用いて文をつくれ、と言われたら、自分は「よそ者に人権なんてない」と即答する。

なぜそう思うか、に対し、あえて一般論(といってもこれもかなり歪んでいるが)を用いるならば、福島では(ここ最近は感染者が出ていないゆえ現在は不明だが、それでも1、2ヶ月前までは)廃炉・除染などに携わる人が感染した場合に限り「除染関係者が感染」みたいな報道をしていた。
(他は(施設クラスター以外は?)職業を特定するような報道はしない)

いわきはまだ大丈夫と思う(たぶん)が、相双で感染者が出た場合、真っ先に「作業員」「よそ者」が疑われる。正直これはものすごくしんどい。
(故に「よそ者」自分は間違っても感染できないと過敏なところはある)

次に「よそ者」という言葉を用いて作文しろと言われたら、「よそ者は何年たってもよそ者(だから人権なんて存在しない)」と答える。

これに関しては本当にいろいろあったなぁ、とだけ。「差別される」ということはこんなにもしんどいものなのか、そしてむしろ年数がたつほど非道くなるものなのか、とも。(あくまで超こじれ歪んだ個人の感想)

これに関しては思いっきり自業自得なところがあると思うが、それでも故に恥ずかしながら自分の心身の安定のため、全力で町の人たちと関わるのを避けているところがある。

あと、個人的にものすごくしんどかったのが「よそ者によるよそ者差別」

これに関しては自分も(引越し前も引っ越した後も)やっていたのでお互いさまと思う。それでも「こんなの(=自分)と一緒にしないでくれ」「お前みたいなのがいるから『よそ者』が差別されるんだ」みたいな言われ方をされたのはきつかった。
(だけど多かれ少なかれ自分もよそから来た人に対し同様の感情を抱いた)

「よそ者」というだけで「うそつき」「泥棒」「犯罪者」みたいな目をされたり実際そんなふうに扱われたり(非道いときは自宅にまでおしかけてくる職質には本当に閉口した)

なにかあると真っ先に「よそ者」である自分が「犯人」扱いされたり、(非道いときは自分の知らないところで「自分がやったこと」として処理されたこともあった)(その結果ご家族様などに悪者扱いされる悪循環)

何をやっても「サボっている」だの「虐待している」だのと決めつけられ、何かあると「お前がやっただろ」みたいなことを言われ、最悪の事態が起きたときは「お前のせいだ」「人殺し」みたいなことを言われ。

地元の人だけでなく(本来そんなことは断じてないのだが)自分と同じ「よそ者」にもそんなふうに言われるのは、正直、本当に、きつかった。

だけどうっかり愚痴めいたことを言おうものなら「そんなこと言うと雰囲気が悪くなる」「余計なことを言うな」と断罪され、一方で「コイツこんなこと言ってました」と鬼の首を獲ったが如く報告され、総攻撃の対象となる。

ぶっちゃけ今の自分なら何を言っても「被害妄想」「頭がおかしい」で片付けられると思う。それくらい今の自分は感情の抑えが利かず挨拶も愛想笑いもロクにできなくなった。

もっともだから逆に安心して好き勝手書けると思っている。
何を言っても何を書いても「頭のおかしい人」で処理されるから。

それ以前に、もともと自分という生き物は「被害妄想」「頭のおかしい」「人間嫌い」「人間のクズ」ゆえ、そんな自分を「よそ者差別のせい」にしてしまえるのは好都合、と考えてるところもあるし。

だからすべては自業自得の積み重ね。お互いさま。今の自分を鏡で見てからモノを言え。そういうことなんだと思う。

完全に支離滅裂の人格崩壊文章になったが平にご容赦。
その気になればまだまだ吐き出せるけど今はここまで。合掌。

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