伊集院静先生の小説。(最新作?「いねむり先生」はかなり好評な話題作とか?)
図書館から借りて読んでるが、個人的には「いねむり先生」より読みやすく面白い。
(一言でいうと超マンガ的ギャンブル小説・・・失礼w)
というわけで個人的には「いねむり先生」人気(?)に便乗してこの小説ブーム
「こそ」来てほしいと勝手に妄想しているが、一方で、ギャンブル、特に競輪が
何故かくも急に衰退してしまったか、考えさせられることも多い小説だと思う。
というか・・・今もそうなのか分からないけど、少し昔(実はずっと昔から?)
大人、特に「センセイ」と呼ばれる人たちを「悪」と決め付け馬鹿にする風潮、
もしくは自分にはないモノを持っている人たちを馬鹿にする風潮・・・
これこそがギャンブル、特に競輪を衰退させた元凶じゃないかと私は思う。
(他人に馬鹿にされて気持ちいい人間など断じていない)
(自分を馬鹿にするヤツらのために頑張る人間も断じていない)
(いるとすればそいつらから徹底的に奪い取る「復讐」に近いものだと思う)
当然自分もそのケは異常すぎるほど強いけど・・・ギャンブルにはそういうのを
吹っ飛ばすパワーがあると思う(あくまで個人の感想)ので、本当はこういう時代
だから尚更ギャンブルで遊ぶ人が増えてほしいと思うのだが・・・
(ただし勝っても負けても楽しく帰れる範囲内で・・・投資・購入は計画的にw)
どうも肝心のギャンブル場(で働く人)がお客さんを馬鹿にしている感じがするし、
一方でお客さんもギャンブル場(で働く人)を馬鹿にしてる風潮が強いような・・・
(これに関しては自分の中に特殊なアンテナが内蔵されてるだけと思いたいが)
加えて、そういう風潮の影響?人と人とのぶつかりあいを好まないどころか
避ける・嫌悪する人間が増えてしまったことも原因ではないかと・・・。
(ギャンブルは道具や駒を使えど結局は人と人とのぶつかりあいだったはず?)
(競輪は公営ギャンブルの中でいちばんその要素が大きかったのでは・・・?)
(だけど時代の流れとともにそういう部分がどんどんそぎ落とされている?)
とはいえこれに関しては、いまだに仕事以外では人とのつきあいなどしたくない
人間が何故か競馬よりパチスロより競艇より競輪好きだったりするので微妙だが、
(オートは好きだがギャンブルとして好きかというと正直疑問)
それでも(特に小倉が一番身近な競輪場だからそう感じるのかもしれないが)
お客さんなど必要としない、ただお客さんの「金」と、走って得られる「賞金」が
もらえればそれでいい・・・そういうふうに変わってしまいつつあるのでは?
というわけで?何がいいたいのか分からなくなってしまったが・・・
読みやすくて面白いのでヒマがある人は是非?
(超何様・・・だけど少しひっかかる部分もあったのでこんな風になりましたとさw)
2011年8月8日月曜日
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