2013年8月31日土曜日

毒吐き的ひとりごと

たとえば、人生を左右するような大勝負(大学受験、面接試験など)を控えていて、勉強その他で疲れプレッシャーで押し潰されそうになっている人に対して、「あなたは疲れている。だから休みなさい」なんてセリフ、通用すると思うか?

通用する人はいると思うし、実際は通用する人の方が多いのだろう。
だから相談窓口、カウンセリング等はそういう答えを出すのだろう。

だけど世の中には逆効果の人も、たぶんいる・・・というか必ずいる。
「休む」ということそのものにものすごく恐怖を感じている人間。

休むことでますます周囲から孤立し居場所も生活の場も失ってしまう。
すべてを失い、ゼロからどころかマイナスからやり直さなければいけない。
もう戻れない、やり直せない、あとはずるずる落ちるだけ・・・

そんなの本人の努力とやる気次第、といわれればそれまでだけど、それができる人間は、こんなに悩んだり、苦しんだり、疲れたりしない。単にそうやって自分を甘やかしているだけだと分かっていても。

そういう人に「休め」と言ったところで、かえってプレッシャーになるだけ。
ではどんな答えがほしいんだ?

たぶんプレッシャーの原因になっているモノに対して、もっと楽に、もっと簡単に、もっと効果的にやれる方法を求めているのだと思う。

プレッシャーの原因で気晴らしができるようになれば最高なのだが・・・

なにが言いたいか分からなくなってしまったが、答えるのも面倒だしそういう相談するヤツ自体面倒臭いから「休め」で片付け、体よく追っ払おうとしている「だけ」にしか思えない。

ここまでいくと重症ですな・・・だけどある意味真実だと思う。
それが嫌だからどうすればいいか知りたいのに・・・

難しいものです。

なんていいつつ、けっこうこのグダグダ生活を楽しんでいる。
だから怖い・・・というのはどうかと思うが。

というか「休む=ヒマを持て余す」的な考えを持っているとも思う。
休むことを楽しめればいいのだが・・・

たぶん今はそれができなくなっているんだろう。
楽しもうとしても無理やりぽいし、罪悪感というか後ろめたさというか・・・
「恐怖」といってもいいかもしれない。

多分自分の中にすさまじい「妬み」「僻み」根性が棲みついているからだ。
他人の幸せが許せない、他人が楽しそうにしているのを見ると憎らしくなる。
だから自分の楽しみも幸せも許せないのかもしれない。

最悪でございます。別にどうでもいいんだけどね・・・

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