簡単にいうと「何かを徹底的に憎んだり見下したりすることで己を保つ」こと。
何もかも全て〇〇が悪い!〇〇憎し!〇〇なんて消えろ!去れ!どっか行け!
もしくは××のくせによく陽のあたる場所で生きてられるなケ!みたいな感情。
△△に比べれば自分はマシ、△△ざまぁ!みたいな感情も立派なHATEの1つ。
はっきりって醜い、恥ずべき感情と思う。だけどHATEを抱いている人は元気だ。
HATEを生きる糧にしている人も少なくないどころか、すべての人は多かれ少なかれHATEを使って己を元気づけたり奮い立たせりしている。
たぶんというより間違いなく自分は競輪(選手)に対しHATEを抱いている。
心が壊れそうになったとき競輪(選手)に思いを飛ばすことで心の回復を図る。
競輪(選手)に比べれば自分はずっとマシ、自分は恵まれている、自分は幸せ、自分はラッキー!
だから自分は競輪(選手)を応援して「あげている」車券を買って「あげている」。
応援という名のHATEを全開させることで己を元気づけ回復させる。
少なくともパソコン前で「他人の不幸は蜜の味~」とか言いながら笑ったりしない。
最低だけどこれが真実。てゆーか競輪(選手)もファンに対しHATEを抱いてない?
というか抱かなければやってられないと思う絶対に!
だ~か~ら~自分がHATEを生きる糧にしてるからって競輪(選手)も巻き込むな。
だけど「慰問」とか「ボランティア」とかやってる連中にHATEを感じるのは事実。
ひとえに(HATEを使って辛うじて生き延びている?)自分の心の問題だが。
少なくとも自分はHATEがあるから生きられる。だけど間違っても相手を罵ったり貶めたり危害を加えたりしてはいけない・・・って小さいころ蟻大量虐殺してた人間が何いってんだか。
それでも直接罵ったり危害を加えたりできないから「こそ」好き勝手できる。
本当に醜い、本当におそろしい、だけど本当にありがたい。
だけどだから「こそ」自分と競輪(選手)の間には(フェンスという)壁が必要。
壁があるから「こそ」思う存分自分の中のHATEを全開できる。
だけど競輪場に行くと自分の外にも競輪ファンがいて、その人たちのHATEを見たり、その人たちに自分のHATEを見られたりする。
自分を知る人間が誰もいない場ならまだ平気だけど・・・恐ろしい。
だから最近競輪場に行くことがストレスになっているのかもしれない。
他人のHATEを見るのも嫌だし自分のHATEを見られるのはもっと嫌だから。
という言い訳です。せいぜいパソコンの前で指差し笑ってHATE全開させとけ。
2015年5月6日水曜日
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