宿泊先ではインターネットはできないがTVはあった。のでずっと見ていた(ぉぃ)
で思ったこと・・・自分は何がしたくて今の仕事を選んだ?
もともとの理由はとんでもなく不純。逃げた先で生き延びる手段を得るため。
人手不足で誰もなり手がないから自分みたいなのでも働ける・・・サイテー。
それでもそれだけではなかったはず。というのを1本目のテレビで思い出す。
なんだかんだいって今の仕事を選んだ一番の理由は東日本大震災だった。
現地に行きたくて、だけど当時の自分には何もできなくて、行っても役に立たないから、せめて現地に行って戦力になれる人間になりたい、という思いもあったはず。
その裏に(人手が足りなすぎる場所だから自分みたいなのがもぐりこんでも大丈夫)というどす黒い思惑が見え隠れするのはともかく。
それでも行き場のない人間が人生をやり直せる場所的な立ち位置を確立できれば、集まる人間の質はさておき、復興するに十分すぎるくらいの人(労働力)は集まると思う。
というか、復興というのは、もともとそういうものだと思う。
全てを失った人がやり直す、人生を取り戻す?人生の復興、みたいなの。
そんなことを考えながら、2本目のTVを見た・・・リコホテルって、そうだったんだ。
ずっと差別する側だった人間にとってはものすごく胸の痛い話・・・はさておき、
結局、よそから来た人は、必要な時だけ歓迎され、用が済んだら、お帰りください。
いつの世も、どこの世も、そんなふうに、なってしまうんだな。。
それが嫌なら受け入れられ認められるよう努力するだけ・・・なのだろうけど、努力すればするほど、自分はよそ者、その土地の者にはなれないと思い知らされる。
実際はそんな努力なんて最初からしていないと分かっていてもけっこうキツイ。
そんな思いをひきずったまま試験を受けた結果がコレ・・・なんて言いたくない。
正直、やれるだけのことはやったと思っていただけにショックだった。
実際は全然やったうちに入らない、やったと思い込んでるだけかもしれないが。
それでも帰る前に天神のとあるデパートに行った。
地元の障がい者が作った商品を販売する「まごころ市」なるものの最終日だから。
そして半ばヤケクソにたくさん買ったw
お菓子その他
それでも自分は障がい者の人たちと一緒に作業したいとは思わない。
自分の心の奥に、どうしても消せない障がい者に対する醜い心があるから。
(それ言うなら今の仕事もできないんじゃない?という思いはさておき)
こっちに関してはもっとどす黒い思いがある。
競輪場に限らず、公営競技の場に、障がい者の作った商品を売る場を設ける。
そうすることで競輪場等、障がい者、ともに双方の生き残りを図る。
だけど売れるモノを売らないと誰も買わないよ・・・どんなモノなら売れる?
そういうのを見てみたくなった・・・という自己満足以外何ものでもない興味。
で買ったモノ・・・ゆずジャム、梅干し、パスタ&パスタソース、クッキー、アップルパイ、ビスキュイ(お菓子の一種)、米粉あんぱん。
他には野菜とかパンとかケーキとか燻製とかお茶(八女茶)とか織物(さをり織)とか絵画とか陶器とか木工とかも売ってたと思う。
自分は基本的に安くてすぐ食べきれる食べ物しか買わないけど、どうなんだろ。
ある程度味と質が保障できればハムとか燻製とかも食べてみたいが。
協賛レースの特典あたりを利用して、1日限定でもいいから、売り場を提供し、チャンスを与える・・・という形で社会貢献しています、だから潰さないね❤そんなどす黒い守り方もある。
もっとも自分は妄想することしかできない。超ド級の人間大嫌いだから。今でも本当は自分みたいなのが今の仕事は絶対やってはいけないと思う。
それでもやれちゃう人手不足万歳!に甘え、ずるずると現在に至っている・・・
それより今の生活を大切にしろ!という気持ちが起きないから尚更タチが悪い。
プラス年数だけは重ねたが何も身についてないどころか退化してる気もするし。
ま、結局自分は何もできない、底辺は底辺らしくおとなしくしとけ、なんだろうな。
合掌?
2016年1月24日日曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。