「ファンあっての競輪」は競輪に限らず大切にしなければいけないこと。私が選手現役時代から求めていた競輪場内の雰囲気🌟
— 山田裕仁 (@yamada_11812) May 12, 2022
大井競馬場は出来るのに、全国どこの競輪場も手をつけてこなかった🤷♂️
競輪界ってなぜかホント後手後手なんだよなぁ🤣
「ファンあっての競輪」 これって選手にだけ向けて言ってもしょうがないのにね🙇♂️ https://t.co/CWRYVVie4T
だけど「競輪ファン」は本当にこういう雰囲気を求めているのだろうか?
思っても絶対に言ってはいけないことだと思う。
それでも、競輪に関しては「新規ファン獲得=古いファン排除」につながるのではないか?という恐怖に近い感情を抱いている。
競輪界の発展のためには古いファンは「老害」として排除されなければいけないのだろうか?若い人からみて年を取っている、というだけで「老害」扱いされ排除されなけばいけないのだろうか?
ひと昔前は(現在も?)「競輪はギャンブルの墓場」と呼ばれていただけあって、家にも学校にも職場にも社会にも「どこにも居場所がない」と感じているような人の「最後の砦」みたいな場所だったと思う(あくまで個人の偏見だけど自分にとってはそういう部分が大きい)
だから若いファン獲得は絶対に必要なことだと分かっていても、その若いファンに「老害」扱いされ、排除されるのは嫌だ、と思ってしまう。
そして自分みたいな、いわゆる「老害」と呼ばれる存在が、新規ファン獲得の障壁になっている、それも分かっている(つもり)。
それでも排除されたくない。締め出されたくない。ここでも居場所を失くしたら本当に居場所がなくなってしまう。そんな思いがある。
嫌なら順応すればいいだけ。
それができないヤツは去れ。
そんなふうになってしまうのだろうか。
どうしても、そんな不安を抱いてしまう。単に自分がこういうの求めてないだけなのだけど。つくづく老害の戯言失礼。合掌。
===
(おまけ)確かに競馬場はカップル率・ファミリー率が高いと思う
あくまで小倉競馬の記憶。カップルや家族連れが競馬場でデートやピクニックを楽しんでいる雰囲気は、確かに自分も羨ましかった。
おまえら馬券買ってる?なんて無粋なことは言わない。
自分も馬券買わずブラブラしてたし(ぉぃ)
はっきりいって、競馬場の雰囲気は、嫌いじゃない(むしろ好き)
だけど、平塚のアレは、それとも違う、だからモヤモヤした。
小倉のドームも、千葉のドームも、お客さんたくさん入ってる?
超失礼。だけど結局、そういうことになってしまわないか?
「のんびりできる」「くつろげる」「居心地がいい」「ご飯が美味しい」「いかにも鉄火場的な雰囲気から避難できる場所がある」
加えて「レース(選手)を間近に体感できる」
きれいでオシャレな施設やカッコイイ演出なんかかより、そういうのを求めてるから自分「老害」よばわりされ排除の対象になるのだろう。
新規ファンを増やすのは構わないけど、場内のとこか片隅にでも、老害の居場所は残していてほしいと思う。絶対に無理な話と思うけど。
長々失礼。
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。