2022年5月31日火曜日

5月31日

朝のラジオで工藤会本部跡地に、旧北九州ホームレス支援機構(何でと言われると困るが自分は現在の団体名に強い拒否反応があるのであえてこっちで)の施設ができるという特集を聞いた。
(後述:たぶん「抱『樸』」でなく「抱『撲』」(抱きしめて、身動きとれない状態にして、撲る)に見えて仕方ないから)

工藤会本部跡地の近くには小倉のドームがある。
いい感じに巻き込み/巻き込まれればいいと思う。

ギャンブルの「墓場」に集う人たちも立ち寄りやすい場所になればいい。
間違っても「ああはなりたくない」と双方言いあうような場所には(略

たぶん競輪にとってもチャンスかもと思ったけどどうなるか。
朝から失礼。合掌。
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(おまけ)書きたいけど書けない(正確には書ける状態じゃない)
「競輪は競馬には勝てない?」について

本当は他にも書きたいことがある(はず)だけど、絶賛とんでもない大波きてる。(本当に感情の抑えが利かないというのは辛すぎて〇にたくなる)

そんな状態ゆえ本来書きたかったこととズレていると思うけど、それでも、競輪と競馬では「ファンの質」が違う、と思った。

競輪ファンって、本当に「排他的」かつ「他人を見下しバカにする」
時には選手だったり、時には競輪ファン(になろうとしてる人)だったり。

とにかく何かにつけ他人を見下しバカにする人多くないか?
(これだから素人は、これだからニワカは、これだから〇〇は、等)

単に自分がとみにその傾向が強くなり、故に醜い感情を抑えることができず、破滅的な方向に進んでいることに耐えられないだけとしても。

それでも競輪を知らない(これから知ろうとする)人を見下し嘲笑する。
競輪ファンには、そういうタイプの人が多くないか?

たまたま見つけてものすごく嫌な気分になった記事。
玉袋筋太郎、水道橋博士が競輪で大外しした事を暴露…「ぶっ込んでたからな。落ち込んでたよ」 (ラジオ芸人の小ネタトーク)

この記事が本当かどうかなんて正直どうでもいい。
過去の競輪番組でも似たようなことは何度もあった。

番組の中で車券を買う人が大負けすることを期待する、オケラになることを期待する、そして実際に大負けしオケラになった人を、指さして笑う。
落車した選手に対し〇ねと罵りながら笑う。

そういうのが嫌で競輪に近づかない・遠ざかる人が多くないか?

競馬にもそういうファンはいると思う。
じっさい「うわあ」と言いたくなるような競馬ファンもいた。
だけど場内が広すぎて?他の声援が多すぎて?そういう声はかき消される。

一方で競輪は、ただでさえ競馬に比べると広くない、加えて(ファンを多く見せるため?)入場できるエリアを狭め、一箇所に凝縮させようとする。
だからそういうファンがいると聞きたくなくても聞こえてしまう。

楽しい気分になりたくて行く場所で口汚い罵りは聞きたくない。
「素人」「ニワカ」「養分」と馬鹿にされ笑われたくない。
この部分に関しては、言いたくないけど、昔より今の方が非道い気がする。

競馬場にも罵声を浴びせる人はいたと思うが、そういった人を排除するでなく、あたたかい声援を送る人を増やすことで聞こえなくした?

競輪場もそういうところまでいけば楽しくなる?その前に罵声浴びせたがりによって排除されそうな気がしてしまうのが自分が感じる現実。

本当にいろいろとすまない。こんなふうに思うこと自体が競輪をおとしめることだとわかっているはずなのに思わずにいられない。

単に競輪とは関係ないところで醜く歪んだだけなのに。
すべては自分自身に関することにすぎないと分かっているはずなのに。
本当に申し訳ない。

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