仕事のあと、車を飛ばして久しぶりに双葉町へ行った。
(8月30日午前0時特定復興拠点の避難指示解除)
避難指示は解除されたけど、正直この線量(0.257μSv/h)どうなんだろ?と今でも思う(そんなこと言うとまた「嫌なら略」と以下自粛)
報道を見て感じた違和感と嫌悪感を確かめたかったが一番の理由。
だがしかし、案の定、カメラ抱えた集団、黒ずくめ(雨のため黒いレインコートを着ていた)怪しい宗教団体かと(失礼)
それはさておき双葉駅には提灯が飾られていた。
カメラの人たちとは別に、報道で嫌な気分になった張本人みたいな人も駅前をうろついていたので即その場から離れ(ごめん)適当にぶらぶら。
(左上)駅近くの神社(右上)ニコニコした感じが好きな病院(左下)震災前は図書館だった場所(右下)もうすぐ開庁する新しい役場
(上)「原子力 明るい未来の エネルギー」看板があったあたり
(下)看板の標語を作った人が管理する?アパート(入居者募集中)
報道で感じていた違和感は「やっと」「ついに」「双葉町も解除」みたいな言い方してるが、実は既に(令和2年3月4日)解除された地区がある。
雑にいえば6国から海側。旧役場あたりから伝承館とかのあたり。
伝承館
故に「居住人口ゼロの自治体がなくなる」みたいな報道に違和感があった。
(復興さんとか周辺の企業や工場で働く人とか)既に住んでると思うけど?
(じっさい新しいアパート(社宅?)いくつか建ち、灯りもついている)
そんなモヤモヤを抱えつつ、折角なので、旧役場へ。
雨のせいもあるが、18時半すぎると真っ暗。
最後に、少し逆戻りして、双葉町に再開した駐在所。
灯りがついた家って本当にほっとするなぁ。
(家じゃないけど、住み込みで勤務するらしい・・・すごい!)
いろいろ思うところはあるけど、復興って、誰のためのものだろう?
間違っても「映え」だの「ウェーイ」だのと騒ぐ人のものではないと思う。
失礼、それでも自分は解除時のカウントダウンイベントみたいな報道を見て嫌悪感しか感じなかった。
地元有志「ら」といっても、どこからか震災ゴロ的な連中がしゃしゃりでて、これみよがしなイベントを企画したんだろ?みたいな。
こういうふうに考えてしまうようになったらホント自分おしまいだな。
「よそ者」というだけで「差別」や「排除」の対象になるのが嫌だ嫌だといいながら、一番よそ者を差別したり排除したりしてるの自分じゃん。
分かっているけど、やたら「映え」や「盛り上がり」を意識したイベントしたがる連中は(勝手に「震災ゴロ」呼ばわりしたくなるくらい)嫌い。
ま、何を言おうが、何を思おうが、しょせん自分はよそ者。
そこに住んで、そこで生活しようとする人たちが一番大事(個人の主観)
それでも、少なくとも今日避難指示が解除された地域の中で、灯りがついていた家は果たして何軒あっただろう。
明るい未来のエネルギーの人の家と、駐在所と、高台にある家くらいか?
本当はあと1軒あるはずだったが「知らない人ばかり」「双葉町が嫌になった」「もう二度と戻らない」と他へ越していったとか。
(※訂正:引越しを検討してはいるが9月時点は双葉町在住らしい)
あくまで新聞その他の報道を見ただけ(しかも正しく解釈しているかすら怪しい)なので真偽は不明。だけどこれも現実、と思っている。
どんな町なら「住みたい」と思うかはわからないけど、個人的には、双葉町でもFMいわきが流れるようになると嬉しいと思う。
(普段聞いてたラジオが新しい住所で聴けなくなるのは地味に切ない)
(いわきで避難してた人が双葉町に戻った場合を考えると是非?)
(それを言うなら南相馬のFMも流れてほしいかもしれないが)
あとは保証人不要でそこそこ安く借りられる部屋かな。
(ぶっちゃけ自分も住む場所が確保できずほとんど挫折しかけた)
(いろいろあって引っ越し考えたとき、東京より高くね?に愕然とした)
(「地元の保証人を用意できない人(=よそ者)お断り」は本当に堪えた)
最後は変な妄想ダダ漏れ失礼。
双葉町の特定復興拠点の避難指示解除おめでとうございます。合掌。
===
(おまけ)報道を見て思ったひとりごと
3月の地震の影響が心配だったけど、大丈夫ぽい・・・多分。
それにしても立派な家に住んでるなぁ・・・と軽く嫉妬したのは内緒。
本人としては、もう一度、地元の子どもたちに自転車を教えたいのか?
願わくばもういちど「双葉町出身の競輪選手」を育てたい、みたいな。
あくまで個人の勝手な解釈です失礼。
2022年8月30日火曜日
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