如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も 骨をくだきても謝すべし
(恩徳讃)
親鸞聖人が作られたというこのフレーズ(和讃)・・・自分はこれが
小さいころから嫌で嫌でたまらなかった。
正直いまも嫌で嫌でたまらない。
でもそれは応えるどころか裏切ることしかできない人間の僻みだろう。
だけど一方で報ずることも謝することも面倒臭いというか恐ろしいというか・・・
(たぶん前者を後者でごまかし正当化しているだけ)
これも(これこそ?)自分の中の腐った根っこ。
分かっているけど、どうしようもなくどうしようもない現実だったりする。
でも実際はもっと前向きで希望を与えるフレーズ(和讃)なはず。
だからこそ墓参り「だけ」でなく、できればお寺でお坊さんの話を聞いて、
前向きな気持ちになる機会(ご縁)をいただいてみては・・・?
じっさいは大いにがっかりさせられる、もしくは別の意味で前向きになるかも
しれないけどw(なんだ坊主って大したことないんだ的なw)
それでも普段見ることのない人間の生々しい部分を見るのもいいご縁・・・
というか、生々しい部分の中にこそ、いいご縁があるかもしれない。
それはたぶん競輪(選手)も同じ。
というわけで、競輪選手の生々しい部分を見るべく競輪場へ行こう!?
以上、超人でなしで超罰当たりな歪んだアンテナ持ちのひとりごとでしたw
(おはぎのあんこに当たらないよう気を付けてくださいね~なんのこっちゃw)
2012年9月18日火曜日
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