拒否することに理由などない。嫌なものは嫌。それだけ。
それでも拒否できる人はある意味とても幸せだと思う。
世の中には拒否したくてもできない、させてもらえない人もいる。
それに比べれば拒否できる、拒否することが許されている人はとても幸せ。
もっとも、ちゃんとした理由を説明できない方にも非はあるのだが。
それでも「嫌なものは嫌」以外の理由など存在しない、というか見つけられない。
そういう状態で拒否するには相手を納得させるための「方便」が必要と思う。
だけどそんなの思いつかないし、万一思いついても納得するとはとても思えない。
案外「嫌なものは嫌!」とひたすら駄々こねまくるのが一番有効かもしれない。
だけど実際は、逆に(暴力など)強硬手段に出られる危険性の方がずっと高い。
そういう意味でも「嫌なものは嫌!」と拒否できる人はとても幸せ。
たいへんうらやましいことでございます・・・そう思うことにしよう。
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(おまけ)あくまで精神的にアレすぎる人間の勝手な感想。
というか・・・そもそも何故「嫌なものは嫌!」なワケ?
それが分かれば苦労しない。
だけど「嫌・・・」の背景には負い目というか罪悪感というか恐怖というか・・・
いろいろあると思うけど、いちばん強いのは「屈辱」ではないかと思う。
じゃあ何故「屈辱」を感じるのか・・・負い目?恐怖?罪悪感?わからない。
それこそいろいろな感情がまざりあった末の「屈辱」だと思うし・・・
ううむ・・・考えれば考えるほど納得できる答えから遠ざかってる気がする。
それでも「屈辱的でみじめな気になるから嫌」は自分にはとてもしっくりくる。
だけどそれで正しいかどうかは疑問だし、仮にそれが正しいとしても、それならそれで、じゃあどうすれば屈辱的でみじめな気持ちを取り除くことができるのか?という問題が生じてくるわけで・・・
それが分かれば苦労しないし、それができればもっと苦労しないだろう。
結局は自分の心の問題だと思うから尚更・・・難しいものですorz
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(おまけ2)チラシの裏的愚痴吐き出し
そもそも最初から自分は資質的にアウトなのでは?という疑問はあった。
疑問を言い訳に努力を怠っている・・・と言われればそれまで。
それでもそんな猿以下な生き物でもやっていけるようになればいいと思ってたけど、やっぱり資質的にアウトな人はアウトなのかな・・・?
それでも生活のためしがみついている、これが現実だろう・・・たぶん。
2013年9月12日木曜日
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