2013年9月15日日曜日

二軍戦@久留米

人生2度目の久留米での野球観戦。
久留米での公式戦は7年ぶりらしいので前回は多分それ。

いろいろあってほぼ2年ぶりのプロ野球観戦。
だけど選手名鑑ない状態で行ったので、誰が誰か全然分からず。
ホークスグッズ売り場があるなら選手名鑑も売ればいいのに。

試合も1回でほぼ決着つく+投手ストライク入らねぇ!でグダグダ。
それよりも今日はお客さんがキツかった。

早めに球場入りしていい席確保した「のに」あとから来た集団(子ども+大人)の「私たちココ座りたいんですけど~」「常識ある人なら当然空気読んでくれますよね~」的な口撃に耐えられず席を立ち、

仕方ないから外野に避難したものの今度はグローブ持った子どもたちの「ボールください」がやかましい、プラス「なんでこんなところに〇〇な人(自分の外見)座っているんですか?」とこちらをチラチラ見ながら聞こえよがしに言ってくる。

なんだかなぁ・・・野球場で1人だとかくも迫害されるものなのか?
以前はこんなことなかったと思うんだけど・・・

というわけで、事実よりかなり悪い方に歪曲して書いている自信はある。
それでも久々の野球観戦だったがいまいち楽しむことができなかった。

ついでにその足でこれまたかなり久々の競輪場に足を運んでみたけれど、残念ながら足を運んでみた「だけ」で終了。(最終R参戦できたが参戦せず、してたら惨敗だったので結果オーライw)

いろいろあって最近気が沈みがちなので、久々に野球でも見たら少しは気が晴れるかなと思ったのだが・・・

こんなこともある。そう思うことにしよう。というかしないとやってられない。
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(おまけ)競輪祭のとき、大変だろうな・・・
いつの間にか小倉⇔久留米の高速バスが1日2便になっている!
(朝1便、夕1便)

以前は1時間に1本くらいの間隔でバスが出てたと思うんだけど・・・
公共交通機関でしか旅行(旅打ち)できない人間には辛い現実です。。
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(おまけ2)自分の闇を消せないときは他を攻撃して誤魔化します
久しぶりに競輪場に行って真っ先に思ったのが「人減った!」

場外とはいえGⅠ、まして意外と場外の方が入場料がかかる本場開催よりお客さんが多い気がする(根拠はありませんご了承ください)それなのに・・・

じっさい自分も最近本当にに競輪場に行かなくなったし、行っても以前ほど楽しいと思えない、むしろキツイと思うようになってしまった。

これに関しては競輪に限らず、何事に対しても「楽しい」「嬉しい」といった感情を持てなくなってしまっている極めて良くない精神状態によるところ大と思うけど・・・

それでも競輪(場)は楽しい!と思えるようになるにはどうすればいい?

いちばんてっとり早いのは車券買って獲れる(しかも高配当)なんだろうけど、困ったことに最近めっきり車券を買う意欲がどこか遠くへ行っている。

以前は獲れないの分かってても応援車券!とか言って買ってたのに・・・
すべては自分の精神の問題と思うけど・・・難しいものです。
===
(おまけ3)チラ裏的ひとりごと
もともと自分は「エラそうで恩着せがましい人」大嫌いです。
だから人格者ヅラして人にあれこれ意見するような人は死ぬほど嫌いです。

心が弱っているときはこの傾向がさらにパワーアップします。
たとえ本気で心配してくれているとしても、もしくは何も考えてなくても、
「うるさい」「黙れ」「ふざけるな」「偉そうに」みたいな受け取りしかできない。
たぶん心弱ってなくてもそういうふうにしか受け取らないと思うけどw

とにかく自分が一番したいことをやると自分はこの世からいなくなります。
「死ぬ勇気と覚悟があれば」今すぐ自分で自分を消します。

はっきりいって生まれた時からずっとこの願望を抱いてたし、今も抱いています。
だけどそれができないから仕方なく生きている、そういう状態なんです。

それでも今は幸せ・・・といえる状況なのが奇跡でもあり恐怖でもありますが。
それでも今の幸せは間違いなくいつか消える。だからこそ今のうちになんとか・・・

それができないからどう生きればいいか探すの超面倒臭いんですけど。。。
はっきりいって間違ってる、超罰当たりと思いますが、これが私の正直な思いです。
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(おまけ4)たぶん今何度目かのピークが来てるだけですw
上の感情について・・・小さいころからずっと思っていたのは事実。

今はもう処分したけど、昔つけてた日記は、このブログより悲惨だった。
他人の悪口か、今すぐ死にたいか、どちらかしかない状態。
たぶん「お腹すいた」と「死にたい」が同じレベル。
いちいち真に受けてたら大変。

それでもたまに(ごっこ程度であれ)実行したいと思う時がある。
といっても本当に「ごっこ遊び」程度で、本気でやったことはない。
というか本気でやってたらとっくの昔にこの世にいない。

それでもたとえごっこ程度とはいえ、そのときは超本気。
だけど最後の最後でどうしてもできない。ギリギリのところで体が拒む。
結局自分にはできない。それを思い知らされるだけ。

だからホントこういうこと考えるだけ時間のムダなんだけどな・・・
こんなこと考えるヒマあればもっと前向きな方に・・・それは分かってる。
分かってるけど、今までの自分(の人生)が足をひっぱる現実が辛い。
前を向いて歩きたくても体も心も思うように動かない現実が辛い。
若くないのは現実だし、今までがあまりに今までなのはもっと現実なんだけど。

ホントいい年こいて困ったもんだ・・・w

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