警戒心が強くプライドが高い人間ほどこの傾向が強い。
被害妄想と人間不信が強ければなおさら。
というわけで、自分は自分の身を守る手段として、人を避け距離を置き1人ぼっちで生きることを選んだ。
でなければ骨の髄まで吸い取られ身も心もボロボロになる。
過去にそれで失敗した。実際はそこまで大げさでないけど・・・
決してそのことを忘れてはいけない。
だから適当に距離を置きフェンス越しの世界として楽しめる競輪がいい。
そういうことだ。(なんのこっちゃ)
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(おまけ)最近少し読書家ふう・・・?(笑)
最近?コミュニケーションガイド本というか、しゃべり方マニュアルみたいな本が売れてるとかいないとか・・・?
タイトルは忘れたが、最近出版されて良く売れている本に関しては、ちらりと立ち読みしたが、正直「こんな言い方されたら自分は絶対カチンとくる」の羅列で、世の中の人がこの本のとおりのしゃべり方したら、自分絶対に生きてるのが嫌になるだろうな・・・と思った。(あくまで精神的に(略)な感想です)
だけど自分もこの手の本は持っている。
自分が持っているのは『頭がいい人、悪い人の話し方』
(樋口裕一著)
10年くらい前に出て、けっこう話題になり、けっこう売れたと思う。
ブームに流され買ってみてそれで満足してそれっきりだったけど、久しぶりに読むと、なかなか耳が痛い。
それでもそういう話し方をする人への対処法、そういう話し方する人だと自覚するポイント(+改善方法)が載っていて、下手な人生訓的な本より、ためになるかもしれない。
それでも耳が痛いし、読んだからといって身につくものでもない、というあたりが本当に悲しいところだけど・・・。
以上、自分への皮肉もこめた読書評でした。(超なんのこっちゃw)
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(おまけ2)なんとなく吐き出したくなったひとりごと
捨て猫にしろ捨て犬にしろ最初はかわいがるけれどそのうち飽きてきて、餌やり、トイレ掃除など面倒ごとはすべて他人に丸投げ、気が向いたとき「だけ」かわいがり、そうでないときは無視どころか完全に邪魔者扱い。
そういう飼い方しかできない人、けっこういるよね?
そして人間に対してもそういう接し方しかできない人、けっこういるよね?
というか自分完全にこのタイプ。自分でも残酷すぎる人でなしだと思う。
だから嫌われても軽蔑されても邪魔者扱いされても仕方がないし、間違っても世話が必要な動物を飼ってはいけないどころか水やるだけの植物すらダメな気がするし当然(?)人間に対しても・・・
そういうことだ。
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(おまけ3)さらにどうでもいいひとりごと
独り者には家族持ちの不安や不満、愛情や憎しみなど分からない。
ということはなんとなく分かる。
それでも分かった「つもり」になることはできる。
本人「だけ」楽しそうで幸せそうなら家族は満足するかというとそうでもない。
家族の支えがあるから本人が楽しく幸せでいられるといった感情(自尊心?)を持たせ気持ちよくさせる必要がある。
本人でなく家族が出資者なら尚更。
だから本当のところ、そこに行くおかげで、(本人含め)家にいる人たちが穏やかに過ごせる、本人にはそのためのサービスを提供し、家族にはそのための情報を提供する、それができればいいんだろう。
うまくいえないけどお客さまの後ろにいる家族へのサービスも必要というか。
競輪場もそこまでできればものすごいことになるだろうけど、競輪場に来る人の後ろにいる人たちへのサービス?は結局のところ競輪場に来る人本人をいかに気持ちよく帰らせるかになるわけで・・・
そのためにも勝っても負けても気持ちよく帰ってもらうしかないわけで・・・
そんなこと、今の競輪場にできるだろうか?(やる気があるだろうか?)
そんなことを、ふと考えてしまうわけです。
2013年3月7日木曜日
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