昨日から、勉強になった?と思う一方、なんともいえない違和感も湧きまくる。
それらについて、やや強引に競輪とからめ(笑)、書きなぐってみたい。
①「囲い込み」「管理」「監視」「干渉」「拘束」「自己満足」
たぶん絶対にやってはいけないこと。だけど実際はものすごくやっている。
特に「自己満足」については、些細なことで凹みそうになる自分を必死で支える原動力の1つになっている。
お客さまの満足のためでなく、自分の満足のためにやっている。
それが現実だし、それが真実。
それを否定されると、心が折れてしまうかもしれない。
実際は何度となく折れまくり、悪くも悪くも耐性がついた・・・かもしれないが。
それでも「自分が楽しい」「自分が幸せ」が一番大事。
問題は自分の楽しみ、自分の幸せのために、お客さまを囲い込み、管理、監視、干渉、拘束その他・・・自分の世界の中に押し込み、自分の世界を押し付ける人が(自分を含め)あまりに多いこと。
現実はたぶん考える以上に、考えられないほどに、厳しい。
その中で必死に戦い、生きている。たぶんそれが現実。
分かっている(つもり)けど、なんともいえない「~してやっている」感。
なんともいえない「彼らは特別、彼らは天使」みたいな価値観。
遠い昔もそんな違和感を抱いた。
今は遠い昔よりはるかに生きやすくなった、選択肢も増えた。自由も増えた。
だけど今の方が、もしかすると、違和感が強い・・・かもしれない。
②競輪場の中と外では、確実に、中の方が障害ある人を見かける頻度が高い。
たまたま常連さんの中に障害ある人がいる、それだけかもしれないが・・・
それでも他の場所、施設に比べ、バリアフリー処の問題じゃない場所なのに、障害に対して、むしろ無知と偏見の吹き溜まり(超失礼)みたいな場所なのに、環境が整えられ、理解ある人が多い(?)場所より、障害ある人が普通に入り、普通に車券を買い、普通にそのへんの人と話をしている、そんな光景を見かけることが多い。
これって実はものすごくすごいことなんだと思う。
だけど現実はギャンブルはものすごくタブー、禁忌、排除の対象。
ギャンブルにしろ、酒にしろ、タバコにしろ、依存する側にも問題があるかもしれない。それでも依存するだけの魅力があるから依存するはず。たとえそれが「現実逃避できるなら何でもよかった」程度のものであれ・・・
ギャンブルというだけで悪と決めつけ排除する。それだけはやめてほしい。
そんなことを考えてしまいました。
③同じ業界の中でも、同じ職場の中でも、人が集えば派閥が生じる。
本当なら互いに力を取りともに戦わなければいけない同志のはずなのに、己の立場や利権のため、いがみあい、対立する。
たぶん人間に限らず複数のものが集えば必然的にそうなってしまうのだろう。
というか同業者でも会社が違えばライバル、商売敵。だから仕方ない。
それでも似たような名前の同じような団体がいくつかあってそれぞれ対立してる?というのは部外者から見てあまり・・・むしろ全然いい気はしない。振り回される方は本当にいい迷惑だ。
それでも人が集えば派閥が生じる、権力争いが生じる。
これは仕方のないことなのだろうか・・・
競輪界はそんなこと断じてない・・・なんてことは断じてない!
むしろこの手のドロドロ濃すぎ!あからさまずぎ!
組織全体がガタガタでボロボロでどうしようもなくなればなるほど、内々でいがみあい足引っ張りあう傾向が強い・・・という歪みきった偏見はさておき、そういうのが部外者にも明らかに分かるような場所に近づきたいと思う人、そうはいません。
たとえ甘い汁ちらつかされても・・・部外者向けの甘い汁なんてたかが知れてるし。
④とにかくわずかな期間に制度コロコロ変わりすぎ、ついていけず不安。
そんな思いをしてはいけない、させてはいけない。
だから現場も、現場だからこそ、勉強が必要。
わかっちゃいるけど、あまりにコロコロ変わりすぎ、ついていけず不安。
それでも生き残りたければ、勉強するしかないのだろう。
身体と心がもつか否かはさておき。
⑤お世話になった方が今月半ば亡くなって以来ずっとモヤモヤしている。
事実だけを聞かされ、通夜にも葬式にも出なかった・・・というか出られなかった。
生前やれることはやった・・・と思う。それが良かったかどうかはさておき。
それでも気持ちのモヤモヤは取れず、むしろ日ごとに強まっている気がする。
別れるときはきっちり別れないと、時間が立つほど苦しくなるものなのか。
だから気持ちに踏ん切りつけるための儀式が必要。通夜や葬式はそのためにある。そういうことなんだと思う。
というわけで?あらためて、別れるときは、きちんと別れよう。
でないと本当にいつまでも・・・むしろ時間がたつほどに苦しくなる。
もともと感情のコントロールができない方なのに、こんなことでさらに苦しむのは嫌だ。だけど自分でもどうしようもなくどうしようもない。
ある意味身の程知らずにも程がある、幸せで贅沢なモヤモヤかもしれないけど、恥ずかしながら生活に支障きたすので、いい加減どうにかしなければいけない。でもどうすればいいんだろう。
そんなモヤモヤでいっぱいだったりするのです。
というわけで?たぶん死ぬまでないと思うけど、もし自分が競輪から決別するときは、ぱ~っと、ン万単位の車券を買い、華々しく散って、思いっきり車券を破って紙ふぶきにし、自分で花道作って?去ると思います。
絶対そんなことできるとは思わないけど・・・
⑥世の中には背負い込むだけ背負い込んでしまうタイプの人がいる。
単に頼まれやすく断れない「(都合が)いい人」なのだが・・・
それでも頼まれた以上は頑張ろうとするし頑張ってしまう。
結果ますます頼りにされ、あれこれ頼まれ背負わされ頑張ったあげく、身も心も疲れ果て・・・そんなことが遠い昔あった。
誰も止めなかった。止めるどころか頼る一方だった。もちろん自分も。
周りは驚いた、けれど悲しんだかどうかは分からない。
これからどうしよう、なんであいつが死んだんだ、どうせなら○○が死ねばよかったのに・・・的な声の方が多かったから。
遠い昔、自分が勝手に作り上げた心の傷。今でもたまに思い出し苦しくなる。
たぶん一生消えないと思うし、消したいとも思っていないと思う。
それでももう二度とあんな思いだけはしたくないし、誰にもさせたくない。
だけど自分には何もできない。面倒なのでしたくない。
最悪でございます。
⑦自分はいまだに戦うことができない、戦うの面倒なヘタレだけど、
今の世はその気になれば誰でも戦うことができる。間違いなくいい時代だ。
問題は戦うことでかえって敵を増やす危険性が高いことだが・・・
それでも何もしないで滅びるのを待つよりは、戦った方が絶対にいい。
というわけで、部外者には何もできないけど、一宮には戦ってほしいと思う。
もし自分に老後があれば旅打ちついでに本場のベトコンラーメン食べたいしw
⑧自分は、超差別意識の塊です。
だから「同じ人間」という言葉が大嫌いです。
この世の中に「同じ人間」なんかいるはずないだろバカヤロウ!
(たとえ自分のクローンができても同じ人間ではないと思う)
というのは屁理屈として、あからさまに、あれこれ理由をつけ、他人と自分の間に決定的な「違い」を見出し、差別し、見下し、距離を置き、排除しようとします。
だから他人に近づく「フリ」はできても近づくことはできないし、
まして向こうから近づいてきたら、怖くなって逃げます。
自分のこういうとこ、致命的だと思います。
だけどどうすればいいか、自分自身にも分かりません。
それでも思うのは、自分は(自分を含め?)人間に対し「恐怖」が強い。その人そのものが怖いのか、その人に自分を知られるのが怖いのか・・・たぶん両方だと思う。
もっとも、正確には、人間に限らず、自分の周りにある全てに対して、同じような気持ちを抱いていると思う。すべてを差別し、すべてを見下し、すべてから距離を置き、すべてを自分から排除しようとする。だから自分は人もモノも大切にできない。
それでも「フリ」を重ねるうち、もしかしたら克服できるかも・・・そう思い、努力する「フリ」をしても、結局ボロがでて、全てぶち壊しになってしまう。
それでも生きたければ「フリ」するしかないんだろう。「フリ」が上手くなれば、ボロが出た時も、対処する「フリ」できるようになるかもしれない。
そう思うしかないんだろう・・・たぶん。
(なんか今日の自分はいつにもまして歪んでいる・・・)
(原因は、ある意味競輪場なんかくらべものにならないくらい、特殊で閉鎖的な世界(超失礼)を垣間見たからじゃないかと思う)
(正直、あまりに別世界すぎて、入り込むことができなかった挫折感が大きすぎるし、入り込ませてもらえなかった(入り込むことを拒絶された)みたいな感情も大きすぎる・・・と思う)
(まるで初めて競輪場に入った人が受ける洗礼みたい・・・超失礼w)
2013年6月30日日曜日
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