2020年11月25日水曜日

11月25日

NHKラジオよ「あべし」はヤメテwww(正確には「安部氏」だが)

さて、ここからは話を180度変えて、競輪祭直前からモヤモヤしてたことについて思うことを適当に書きなぐる。

自分が競輪はじめた年の7月にデビューした(たぶん)選手について。
当初は「ケ」以外の感情を持てなかった。
(ムリヤリ「怪物」にしようとしている印象をぬぐえなかったから)

印象が変わったのは翌年のサマーナイト。
(小倉場外で見たおばちゃんパーマの映像に完全にもっていかれた)

はっきりいって、これがなければずっと「ケ」のままだったと思う。
(ゆえに罰ゲームで?パーマを命じた選手にはとても感謝している)

次に同年10月の西日本スポーツ杯。バックヤードツアーで後姿を発見してからの完全優勝。そしてその年の競輪祭準決勝での逃げ切り1着。

このときの鮮烈な印象がいまでも忘れられない。
逆にいうといまだにこのときの印象をひきずっているともいうが、それでも「どこまで強くなるか楽しみだ」という楽しみを覚えた選手だった。

その後についてはまだ気持ちの整理がつかない。
震災後の活動のこととか、選手会をめぐる騒動があったときのこととか、半ば青天の霹靂的に五輪をめざすようになったこととか。
(正直、五輪を目指すようになって別人になったとすら思っている)

それでも2013競輪祭の師弟ワンツーからグランプリでの師匠優勝、両方とも当時の職場テレビで見て心の中で泣いた。

(個人的には翌年の武雄記念で地元選手のために死に駆けしたGP王者にもしびれた&この師弟のすごさを実感した)

だから色々思うところはあるけど、同県師弟として最後のワンツーを、パソコン越しとはいえ見ることができて良かったと思う。

まだ過去のイメージをひきずっている故に気持ちの整理ができていないけど、次から次に「どこまで強くなるか楽しみだ」な選手が出てくる故にいつまでも変わらず応援し続けることができないかもしれないけど、

それでも競輪ファンであり続ける力を与えてくれてありがとう。
願わくばいつまでも競輪ファンであり続けさせてください。

変な文章になってしまったが吐き出したかったので吐き出した。
長々と失礼。合掌。

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