2022年5月11日水曜日

5月11日

職場にてパソコン開くと上島竜兵さんの訃報。
しばらくショックで立ち直れなかった。

いろいろ思うことはあるけど、まず、「いのちの電話」的なヤツの番号案内。あんなの無意味、むしろ逆効果。かえって背中を押す可能性が高いと分かってやっていると思う。(あくまで勝手な個人の勝手な感想)

次に思うのは、不謹慎承知で、やっても失敗するような、ポンコツな家に住んでてほしかった。(あくまで過去に失敗した経験のある個人の略)

どんな気持ちで「実行」したかは考えてはいけないことだと思っている。
それでも実行した「行為」そのものは否定してはいけないと思っている。
「衝動」にしろ「覚悟」にしろ、止められるものではないと思っている。

だからこそ「成功」でなく「失敗」してほしかった。
実行しても失敗してしまうようなポンコツな家に住んでてほしかった。

さすがに最後の最後で本当に必要なのは、インチキ臭い(超失礼)相談案内なんかより、やっても失敗してしまう家だと思う、とまでは言わないが。

それでもやって成功しない、必ず失敗する構造にはした方がいいと思う。
やるまでは「絶対やれそう」だけどやると「すぐ落ちる」とか。

何をいっても何を考えてもただひたすら虚しい。
残念だけど、さみしいけれど、お疲れさまでした。合掌。
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(おまけ)報道制限がかかる理由
ギリギリのところで悩んでいる人の背中を押しかねない?否、そういった人たちの背中を面白半分に押しまくる輩を増幅しかねないことが最大の問題。

「どうせなら〇〇が死ねばよかったのに」という「冗談」
「なんで〇〇なんかが生きてるの?」という「冗談」

無責任かつ面白半分に「どうせなら〇〇が死ねばよかったのに」みたいなことを言う輩は少なからず存在する。自分もそういう輩の1人。

面白半分に「次は誰か」を予想し「次の犠牲者」を期待してしまう。
そんな輩を増幅しかねないから、報道には気をつけなければいけない。
あくまで個人の勝手な感想です失礼。

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