2010年11月11日木曜日

11月11日

近所のスーパーではなぜか「ポッキー&プリッツの日」ということになっていて、
YMOの過去のアルバム(『増殖』?)を思い出すようなポスターが貼られている。
(3人揃った姿を見るのも久しぶりだが、これが分かるのは何歳以上だろう・・?)

一方で今日はお笑い芸人・村田渚さんの命日だったということをふと思い出し、
「お笑い」について考えてしまう日でもある。

ぶっちゃけ自分はどちらかというと「笑われる子」だったせいもあり、「笑い」に
対してあまりいいイメージを持っていない。

そもそも「笑い」というものは本来「いじめ」「からかい」「無視」「虐待」などによって
他人(に限らず自分以外のものなら何でも)が悶え苦しみ顔をゆがめるさまを見て
このうえない快感・満足・充足感といったものを味わいとても幸せな気分になること
(「他人の不幸は蜜の味」的な感情)だと思っていたし、今でも思っている。
(ちなみにこのような笑いをドイツ語で「シャーデンフロイデ」というらしい)

とはいえそれは決していい笑いではない。
はっきりいって(中には笑われることを力の源にできる人もいるかもしれないが)
笑われる方はみじめだし、いっぽうの笑う方も面白いとか気持ちいいとか思いつつ
心の奥底でなんともいえない嫌な気持ちが溜まり、次第に苦しくなっていく・・・。

そんな気持ちを吐き出し発散するために「いじめ」「からかい」「無視」「虐待」など
しては苦しみ、そしてまた発散しては苦しみ・・・を繰り返し、どんどんエスカレート
していくのではないかと。。

私は「お笑い」というものは、そうやってどんどん追い込まれてしまう人やモノを
1人でも(1つでも)減らすために存在するものだと思っている。

うまくいえないが、なんだかんだいってターゲットが他にある間はそんなに他の
人やモノに対して攻撃的にならないものだと思っているし、

だからこそ「あえて笑われる(笑わせる)」ことで、自らがターゲットになり、
ターゲットとして攻撃されやすい多くの人やモノを守っているのではないかと。
(しかも芸人さんはプロ(笑わせるのが仕事)だから笑う方も苦しまなくて済む)

そういうわけで、最近のお笑いに若干かげりが見られるのは危険なことだと思うし、
(単に自分TVを見なくなりでお笑いを見なくなったせいもあると思うが)

一方で見ていて不快になるような笑い(「シャーデンフロイデ」そのものな笑い)
が多すぎるような気がするのはもっと危険なことだと思う。
(最近のバラエティ番組やワイドショーはこの傾向が強い気がして嫌いです)

というわけで?今こそお笑い芸人さんたちに頑張ってほしいと思うわけです。

でもって(こんな書き方は不謹慎かもしれませんが)お笑い芸人さんが「芸」で
笑わせてくれるように、競輪選手も「走り」で楽しませてほしいなと。。
(なんだかんだいって「芸」も「走り」も同じようなものだと思うのは失礼か?)

・・・以上、競輪をターゲットにストレス発散している人間の戯れ言でした。
===
(おまけ)というわけで?勝手に「お気に入り」に追加しました。
【ニコニコ動画】四国競輪CM「ぴよぴよダンス」(リメイク希望w)
1コマ漫画(?)(これで笑えるうちは大丈夫?)
かなり昔のCMらしいが、子どもの頃これ見てみんなでマネした?四国の人たちが
とてもうらやましいです(本気w)

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