2015年2月2日月曜日

イジメVSゲーム

ラジオの人生相談曰く、親は「イジメ」について相談してるけど解答者は「ゲーム(だから大丈夫?)」といった形で解決しようとしているようで・・・

「イジメ」より「ゲーム」の方がよっぽどタチが悪いと思うけど・・・もっとも「イジメ」の自覚があり、うしろめたい気持ちを「ゲーム」化することでごまかすケースもある?

「イジメ」がエスカレートすると「ゲーム」になり、ますます陰湿・卑劣・残虐になる。
あくまで個人の勝手な感想だけど、私はそう思っている。

最近話題の?戦争からの人殺し(恐怖政治)大好き集団もそんなヤツラの集まりでしょ?あまりに異常すぎるとゲーム化して精神を守り組織を正当化しようとする。

たぶん人間としてきわめて健全な防衛本能だと思う。だから人間は怖い&危険。
こういう思いがどうしても消えない(けれど消すつもりはない)。

困ったもんだ。
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(おまけ)今日は久留米FⅡナイター&防府市営@小倉の観客締め出し最終日
今日は休日だから久留米行けよ・・・明日も朝早くから仕事だから無理orz
だったら昨日仕事が終わってから行けよ・・・それはそれで(略)

言い訳つけてばかりで行かない自分。
以前の自分ならそれでも嬉々として行ってただろうにorz

いっぽうで防府市営@小倉の観客締め出しは見る・・・のか?それは分からない。
最後まで見ると間違いなく翌日の仕事に支障をきたす「が」昨日は最後まで見た。

で思うこと・・・決勝に進む「最後の1人」はどうやって決めているのだろう?
(単純に競争得点なら別の人が決勝に行ってるのではと思うのは自分だけ?)

まさかクジとかジャンケンとかじゃないよね?
それだけは絶対ないと思うが、一方でそれはそれで面白いと思う自分がいる。

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