2013年1月11日金曜日

脚づくり?後のひとりごと

いくらお風呂に入りマッサージチェアで悶絶しまくりカラオケで熱唱した
ところで自転車で片道1時間超かかる場所なら疲れも取れまいて・・・

というツッコミ?はさておき、競輪は意外とコミュニケーションの道具と
いうかきっかけになるらしい。

今回もまさかの元選手のお母様?に話しかけられ競輪談義に花が咲いた。
(名前は聞きそびれたけどけっこうすごい選手だったらしい)
(卒業記念レースで3着か4着だったとか、オールスターにも出たとか・・・)

恥ずかしながらいい年こいて超人見知り・・・というかコミュニケーション
障害みたいなところがある(ことにしてコミュニケーションから逃げている)
人間にとって、それなりに話せる・・・というかそこそこ盛り上がれる話題が
あるのはありがたい。そういう意味でも競輪は自分の役に立ってるかも。

一方で、JRAも必死だな・・・というか、社会貢献するなら、あからさまな
くらい名前が前面にでる形にして大々的にアピールしたほうがいいかも。

そんな醜いことも考えつつ、1日まったり過ごしましたとさ。
正直・・・風呂とマッサージチェアとカラオケが、競輪場にもほしいかもw
間違いなく今以上に競輪しなくなる危険性大だけど(なんのこっちゃ!)
===
(おまけ)超支離滅裂な感想のつづき?
防府の海は最高だったけど心の奥底に何ともいえない嫌な感じがこびりつくのを
禁じ得なかった(ごめんなさい)

その答えを防府のお山に求め、ある程度の答えを出すことができた(つもり)けど、一方で、防府の海にいるとき既に防府の海まで行かなくてもここでいいじゃん?と思った場所があった。ので今日行ってみた。

感想。どういう形であれ、一部の限られた人、選ばれた人「しか」利用できない、楽しめない、というのは、何ともいえない醜い感情を生み出すものだなと。

多分・・・というより間違いなく防府の海で感じた嫌な感情の源がコレだと思うし、遠すぎる学生時代にどうしても消せなかった感情がコレだと思う。

○○「だけ」楽しみやがって(自分は楽しめる対象外)「ケ」的な感情。

今日行った場所は、防府の海ほどメニューは豪華でない。
それでも(多少の例外はあると思うが)基本的に誰でも利用することができる。
それが個人的には一番うれしい。
(防府の海の方は基本的に選ばれた人しか利用できない場所・・・だと思う)

プラス自分の中で、障がい者と高齢者の間の壁というか溝というか法律的な問題というかいわゆるひとつの利権をめぐる?縄張り争い?というか・・・

同じ場所なのに、両者が会い交えることはありえない、というよりダメ、みたいな現実が、たぶん心にひっかかっているのだと思う。

詳しいことは分からないけど、法律的な問題というかお役所的縄張り争いというか何というか・・・思った以上に、両者の壁は大きいというか溝は深いというか。
たぶんそういうのが自分の中でひっかかっているのだろう。

そういう意味で、そういう壁がない、というか、そこに行き入場料を払えば誰でも利用できる・・・ということがいかに大事というか有り難いというか、当たり前のことだけど、当たり前でない世界が確実に存在して、そのことに対する妙な抵抗というか拒否反応というかが自分は必要以上に強すぎる。たぶんそういうこと。

(だから小倉で一部の「別枠」集団に対して猛烈に嫌悪感を抱いていたと思う)

だからどうしても、高齢者とか障がい者とか女性とか男性とか子どもとか大人とか、そういったもの関係なく同じ場所で楽しめるというか生活できるというか・・・

自分はそういうところを求めている(故の嫌な感情)かもしれないと思ったし、
あらためてそういう場所としての競輪場の価値を高めることができないかなと。

(だけど最近の競輪界は選手、関係者と一部コアなファンとの間に妙な特権意識というか一種の馴れ合いというか・・・みたいなのを感じてしまう)

(そういうところに敏感な人(非競輪ファン)はますます競輪嫌いになるかも?)

もっとも・・・集団で生活する以上、そういう感情とは絶対に無縁になることなどできないと思うので、それが嫌なら1人ぼっちで生活しろ!ということになると思う。

だから正直できれば自分はそうしたいと思っている。
自分人一倍そういう感情育てやすいというかすぐ醜くなる性質だしorz

そのためにも最低限の生活の糧を得る手段と健康な身体と心は守りたい、
我ながら超人でなしだけど、そういうことだ。(なんのこっちゃ)

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。